日本の歴史から学ぶ!新時代の生き方講座【奈良時代〜鎌倉時代編】 | ターチスタイル

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日本の歴史から学ぶ!新時代の生き方講座【奈良時代〜鎌倉時代編】

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本当のヒーローは誰だったのか?
隠された歴史的真実がいま明かされる・・・


* 和気清麻呂という人物が、天皇家を救った!?
* なぜ源頼朝は、弟の義経を滅ぼしたのか?
* 後鳥羽上皇が承久の乱を起こした背景とは

歴史の真実というのは、本当のところわかりません。
教科書で書かれていることと反していることもあります。


例えば・・・

後鳥羽上皇は、譲位の際、三種の神器が揃わなかった天皇でした。

実は、前の安徳天皇の際、三種の神器の一つである剣が、
戦争時に海に落ちなくなってしまったのです。

彼はそれまでの天皇の中で唯一、三種の神器が揃わず譲位した天皇として
コンプレックスを抱いていたようです。

このような史実はあまり多くの人が知るところではありませんが、
後鳥羽上皇にとっては大変大きな事柄としてあったことは間違いないでしょう。

また後鳥羽上皇が起こした様々な事件がこのことと深く関連していたと考えることは、少なからず否定はできません。

また、北野天満宮で祀られている菅原道真公が
なぜ太宰府に左遷されてしまったのか?

この理由も多くの人は知りません。
彼は、政治的な立場において正しいことを遂行しようとした人物でしたが
被害者になってしまいました。

このように史実というのはある意味、勝者の歴史であり
ねじ曲げられた内容が多いため、本当の歴史を理解することが
難しくなってしまうのです。

しかし今回、それが良いか悪いかは一旦置いておいておき

とりあえず今のところ史実として知られている歴史人物がどのような生き方をしたのか、
歴史的な内容をひもときながら解説していきます。

この講座をお聴きいただくことで

新たな時代でどのように生きていけばいいかを
歴史エピソードや人物から学ぶことができるでしょう。

過去の歴史と現在を比較することで、人間的に
より大きな視点で物事を判断していけるでしょう。


それではこのコースの内容をご紹介しましょう。

【1】はじめに

【2】和気清麻呂がいなければ、天皇家は途絶えていた?!

それを救ったのが彼だったのです
その忠誠心の高い彼は、死後高く評価されました。

称徳天皇に対して、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が謀ったご神託を阻み、桓武天皇を助け 平安遷都に大きく貢献しました。そんな彼を忠義の人として、死後も尊崇されています。

【3】平安時代はどんな時代?

平安時代は、桓武天皇が都を平安京に移してからの時代ですが、ここから貴族が権力を独占しはじめます。摂関政治が始まり、院政と続いていき、天皇の力も大きくなっていきます。主に天皇と貴族が入れ替わり立ち代わり、権力を争奪しあうそんな時代です。

さらに天災や疫病、飢えなどの問題もおこり、なかなか安定しない時代だったのです。
平安時代は名前の平安とは違い、非常に不安定な時代だったといえます。

【4】桓武天皇と平安京遷都ストーリー

桓武天皇は平城京から長岡京、平安京遷都にいたるまで、数々の困難を乗り越えました。
藤原種継の暗殺などがあり、うまくいかないこともありましたが、最終的に和気清麻呂の貢献などもあり、平安京に移ることができました。

桓武天皇は平安京に遷都する前に、病になりましたが、生き延びるなどかなり幸運の持ち主でやはり歴史的にみてもすごい人物です。

【5】菅原道真はなぜ左遷されたのか?

菅原道真は、もともと貴族出身ではありませんでしたが、特別優秀であったため、宇多天皇に寵愛されました。そんな彼がなぜ太宰府に左遷されてしまったのか、その真相に迫ります。

【6】栄華をきわめた藤原道長 摂関政治の意味とは

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
(「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ 望月(満月)のように 何も足りないものはない」という歌を詠んだ道長の生き方とは?

【7】院政のドロドロ政治とは

まずは院政とは何かを説明します。実は、院政自体、現代においてもその「似たようなかたち」をみることができます。きっとみなさん会社でもよくみられることと思います。

院政期は、武家社会に入っていく過程のとても重要な時期です。これを理解し、さらにこの院政の中で起こった様々な問題も見ていきます。

【8】平清盛は栄華を極めたが、民衆の支持をえられなかった?

平清盛は天皇家への接近により、権力をほしいままにしました。また彼は宋との貿易に力をいれるなど圧倒的な財政力をもっていました。銭という意味ではじめのお金持ちは清盛だともいわれています。それくらいの圧倒的な力を持った清盛でしたが、福原京に都を移そうとしますが、民意がつかず失敗。

その後、源氏によって平家が滅ぼされます。

清盛は財政的にも、地位や権力でも圧倒的な力を持ちましたが、果たして彼の人生はすばらしかったといえるのでしょうか。これは意見がわかれるところであると思いますが、民意がついていかなかったという点で、あまり徳がなかったのではないかと思います。

このような清盛の生き方から何を学べるでしょうか?

【9】鎌倉時代はどんな時代?

源頼朝が鎌倉の東国武士たちを抑え、全国の御家人たちを統括し武力でもって開いたのが鎌倉幕府です。彼は、これまでの天皇中心(貴族中心)の幕府体制を変え、武士中心の社会をつくろうと考えました。

幕府が始まってからは公武一体の二元支配がはじまります。

これまでの清盛たちが行っていた朝廷よりの支配ではなく、あくまで武士を中心とした社会構造をつくろうとしました。しかし、やはりこれまでの制度もまったくなくなりはしませんでした。承久の乱で後鳥羽上皇が負けて以降、幕府の圧倒的軍事力は天皇の力をもおさえるものとなりました。ここに本当の武家社会がつくられはじめたのです。

鎌倉時代、幕府財政は脆弱でした。天災や飢え、大裏の修繕費用、元寇での大幅な出費とかなり逼迫していました。北条氏独占の世の中(得宗家)に不満を持つものも多かったようです。

【10】源頼朝はなぜ弟の義経を滅ぼしたのか?

源義経は兄の頼朝になぜ滅ぼされてしまったのでしょうか?単に兄弟争いで邪魔になったからでしょうか。実はもっともな理由があります。頼朝が鎌倉幕府を開こうとするにあたり、彼は社会構造を変えようと思っていました。果たしてその理由とは・・・

【11】後鳥羽上皇は何を目指したのか?承久の乱の真相

後鳥羽上皇は祖父が後白河天で父が高倉天皇です。高倉天皇といえば、清盛の娘とも子供をもうけ安徳天皇がいます。つまり後鳥羽と安徳天皇は異母兄弟の関係になります。

後鳥羽上皇は、武士の権力を疎んでおり、北条氏から天皇中心の政治を奪い返そうとしました。その戦いが承久の乱です。


さあ、皆さんいかがですか?さらに深い内容を知りたいと思った方はお手にとってみてください。また歴史から何か学びたい、歴史をもう一度振り返りこれからの生きる指針にしたいという方も一度お聴きになってください。



【備考】
このコースはもともと学習プラットフォームUdemyのコース用に作ったコース内容で、先行してオーディオで販売いたします。今後もしかすると、Udemyでも映像付きで販売するかもしれませんが、これをご購入いただいた方には無料でUdemyコースをプレゼントさせていただきます。その際は登録のメールに送らせていただきます。
なお、まだいつできるかは未定なためあらかじめご了承の上ご購入ください。

何卒よろしくお願いいたします。

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